MyOpinion

HSP・隠れひねくれ女子のホンネ放出空間

ひねくれ女子はブログにもホンネを放てないから、宇宙空間に放出することにした。

HSP気味の隠れひねくれ女子、ホンネブログを始動

表のブログには書けない個人的な悩みや主張を、裏ブログに放出することにした。

考えすぎとはよく言われるけど、まさか匿名性の高いブログにもホンネを書けないとは。

役立ちたいという気持ちと、赴くままにエッセイ的に綴りたいという気持ちが混ざりあい、最近では表ブログがカオスと化してる。

エゴが強いタイプの私に、お役立ち記事のみを生成するのは難しいだろうと思い、我を吐き出す場を設けることにした。

 

裏ブログのコンセプト

周波数の使い分け

少し話しはズレるが、最近よく聞くHSP、嚙み砕くと「繊細さん」

現代にはそんな人が5人に1人もいるという。私も確実にその一人だ。

 

もしも読んでくれた方の中に、その毛がある方がいるのなら、「繊細な人間には裏表がある」という主張に共感していただけるのではないだろうか。

 

これは人様をだまくらかそうとか、そんなアクドイ考えからではなく、単純に、その場の空気を勝手に読んで合わせている方が楽な性分なもんで、色んな側面を持っているのだ。

 

どれ程の人に理解される話かは分からないけど、私は様々な物事に周波数を合わせながら日々を生きている。その周波数を、自在に操れるのならば人生イージーだったが、そこまで器用な人間ではないから、いつでも人の役に立つ、ポジティブな記事のみを生成し続けるのは難しい。

色んな考えが頭を巡り、色んな感情がせめぎ合っている状態だから、たまには思ったままに吐き出すことが必要だと思った。

SHITを吐き出す

因みに表ブログの方は、憂鬱な日も、ちょっと楽しく過ごそう。というテーマのもとお送りしているが、最近では就活の不安を綴ってみたり、かと思えば健康関連の知識を披露してみたりと、自分でも何がしたいのやら。

あちらのブログは、ある程度人に見られることを意識しているため、無意識のうちに明るさを演出してしまっている。

 

噓という訳ではないが、文体も人に語りかけるように柔らかくしているからか、気分的に落ち着いているときや、深いことを考えている時にはなんとも周波数が合わない感じがしていて、更新意欲が失せてしまう。

 

 そういう訳で、このブログは、裏垢ならぬ裏ブログとして始動する。

つまりホンネを取り繕わずに発信してしまおうという趣旨だ。

気持ち的には、宇宙空間にSHIT(クソ)をぶちまける感じで。ニワカヘッズなもんで。無駄にHIPHOP精神を出していこうと思う(笑)

それから文体も、気分によって変えます。ので、お気になさらず。

宇宙のテーマに感謝

これからはひっそりと宇宙にクソを放出していくことになったわけだが、それにあたってこのテーマは本当にピッタリ。

テーマストアで発見した時思し召しかなって思ったもん(笑)

新着で一番上にあったから、まだカスタマイズの前例は少ないけど、実はオリジナリティ出すのが大好きな私には、これから自分でも色々ためせるという点で大歓迎。

blog.hatena.ne.jp

素敵なテーマを恵んで下さり、有難うございます。

今日はこのこの辺で。

一発目のSHITを亜空間に放出しよう。

さようなら。

 

素敵な大人になるためにスルー出来ない「冬の朝」案件

今週のお題「急に寒いやん」

朝起きれない季節がやってきた。

布団から出たくない気温になって来ると、二度寝の誘惑に勝てなくる。

ついでに肩こりも半端なくなる。何もいいことはない。

…こんな愚直ばかりをこぼして申し訳ないのだが、なんせお題が「急に寒いやん」という、どう捉えたって文句なのだから、致し方無いだろう。

 

私のやっている表ブログ(これは裏ブログ)のタイトルは『雨の日と月曜日というのだが、テーマは嫌いな日を少しでも楽しく過ごすことだ。

そのために大嫌いな「雨の日」と「月曜日」を羅列しているのだが、もしもう一つ並べるのであれば、「冬の朝」をあげるだろう。

 

清少納言の『枕草子』では、「冬は朝~」という節(?)があるが、寒い冬の朝を乙と感じることのできる優雅さを感じる。私にはほど遠い感受性だ。

最近はブログのお陰で雨の日と月曜日に対する苦手意識が減ってきたが、冬の朝はまだ克服できていない。

大人になるほど好きなものを増やすことが目標であるため、くどいようだが私にとって「冬の朝」は、スルー出来ない案件なのだ。ぜひ克服したい。

 

大人になるほど「好き」を増やす

お題から少し逸れるが、私の人生の目標についても話したい。

私は「好き」が少ない少女時代を過ごした。本当にモッタイナイことをしたと思う。

楽しそうな人を見て羨んでばかりいた。特別不幸な境遇でもなかったのに,あんなにもセピア色(笑)の青春時代を過ごしたのは何故だろうか。

大好きな辻村さん(『凍りのくじら』で泣かない人間はいないだろう)の言をサンプリングさせて頂けば、少し・不幸、なぐらいの子どもだった。今考えてみれば、楽しいことだって沢山あったはずだ。それなのに悪い思い出ばかりがあるのは、「好き」が少なかったから。全てが減点方式の考え方をしていたからだろう。

きらい嫌いの少女時代

体育は嫌い、算数も嫌い、寝るのも嫌いだし、起きるのも嫌い。

嫌いなことは数え切れないほどあったが、好きなのは食べ物くらいだった。

楽しいことや、贅沢をすれば罪悪感を覚えるから嫌だった。相当歪んだ性格だ(笑)

特に嫌いなのが「朝」だった。

とりわけ冬の朝は、永遠に寝ていたいと思った。

起きたくなさ過ぎるお陰で、体調が悪い気がしてくる日も多々あった。

起きるたびに、朝が始まったことに若干キレていたのだ。

あの子と、何が違うの? 

そんな少女時代を過ごし成長した私は、多少頭を使えるようになった。

高校生の時、「あの子と自分の何が違うのだろうか。」と、考えたのだ。

ちっぽけっだが、人生の転機だった。

楽しそうな子、嫌なことが少なそうな子を見ていて、同じ人間なのに何故こんなにも違うのだろうか。と思ったのだ。

頭でっかちな私は本を読み漁った。心理学、自己啓発、スピリチュアルまで幅広く。そうしてやっと(私の場合)「楽しいは、つくる必要がある」と気づいた。

 

寒い朝が嫌いすぎるし、雨の日と月曜日は大げさに言って死にたくなった。

自然に楽しさは生まれてこない。キツイばかりだった。一々嫌がって、体力を消耗していた。

受け身ではだめだ。迎え撃たなければ「嫌い」に殺される!!

…と、こんな感じの変化があった訳ですよ。

(ついでに言うと「不安」にも殺されそうになっていたのだが、その話はまたいつかゆっくりしたい。)

 

高校時代から時を経た今、私は周りの人から「なんか楽しそうだね」とお花畑野郎(女)認定を受けている。心なしか、朝の寒さも軽減された気がする。お幸せな奴だと馬鹿にされることもあるだろうが、私からすればしめしめと言ったところだ。「楽しいは作れる♪」を体現できたのだから。

楽しいをつくる

楽しいを作るには、「好き」をたくさんストックしておくことだ。「好き」が自然にできない人間は諦めが肝心だ。脳の作りが違うことを認識しよう。天然のお花畑と、人口のお花畑は違う

自然に出来ないものは、脳に頑張って貰って作るのだ。

オススメは、意味づけをすることだ。自分にとって意味のあるものを「好き」と思い込める場合が多い。

物語が好きな人には効果的だろう。文脈消費が好きな人は、意味づけされたものに価値を感じやすいからだ。

脳内でいい文脈に変えて「好き」にしてしまうのがいい。

 

…長くなったがこういった訳で、わたしは人生の目標を「大人になるほど好きを増やす」としているのだ。分からない人にはサッパリだろう。

 

 冬の朝にいい意味...

お題から遠く離れた人生の目標だが、私の中ではガッチリ繋がっている。

冬は身体がちじこまり、心もしぼんでくる季節だ。朝が寒すぎるのには、心の問題が関係している場合がある

つまり言いたいのは、「急に寒いやん」と思ったら、朝が嫌いな自分に逆戻りしないように気をつけなければならないのだ。

 

冬の朝に清々しさを感じとるには、相当な精進が必要になる。

以上、素敵な大人になるためにスルー出来ない、「冬の朝」案件。

 

無駄に長いお題挑戦、大変楽しかったです。

読んで下さった人は果たしているのか(笑)

 

↓表ブログでは、もっと明るい奴を演じております(*‘∀‘)↓

www.ametuki.info

「自由に働く」を割と真剣に考えている小娘のはなし。

自由に働くってなんだろう

 最近は働き方の変化が囁かれているのをよく聞く。

私が春から社会人になるためそうした話題を無意識に拾っているのもあるが、コロナ禍で働き方が変わるなんて騒がれているのもあるだろう。

大変気になる話題だ。自由に働くとか、好きなことを仕事にするとか、そうしたことにはとても関心がある。

会社に入る

私は就職活動をし、会社に入った。フリーランスになるなんて考えはなかった。

知ってはいたが、怖くて出来なかったのだ。

今まで特別な経験をして来た訳でもない私が、一人で仕事をしていくなんて到底考えられない。とりあえずは会社に入って経験を積みたいと思う。

 

会社に入るのはメリットがある。教育をしてもらえることだ。

右も左も分からない新米に、社会人とはどういったものかを教えていただけるのだ。

大変助かるが、合理的でない会社のルールなども教え込まれることにもなるのだろう。

私は隠れたエゴイストであるため、歯車になるのに向いてはいないと前々から感じていた。加えて、大学では女性起業家の調査をしていたのだ。影響されない訳はない。

実は将来起業できたらいいなと考えている。誰にも言ったことはないが。

 

会社にずっといるつもりはないということだが、私は非常に流されやすいため、気づいた時には会社人間になり果てている可能性も否めないのだ。誰にも話さずにいると心の中で腐るかもしれないため、ほぼ誰も見ていない裏ブログに垂れ流そう(一体何が違うのかと思うが、気持ちの問題だ)。

 

自由に働く人々

秘かな決意を固めたところで、気になるのは、実際に自由に働いている人々の実態についてだ。SNSでも多くの自由な働き方が発信されている。彼らの存在をどう捉えるか悩むところだ。

 

というのも、私が自分で仕事をしたいと考えた時に思い描く姿とは少しズレがあるからだ。詳しい訳ではないため、めったなことは言えないが、情報発信を生業にするという感覚があまり理解できないのだ。

TwitterなどSNSや、ブログ、YouTubeなどで生計を立てる人達は、人気商売のようなものだろう。それはわかるが、お金を稼ぐ方法を発信する人々の実態が謎なのだ。

稼ぎ方

これはイメージだが、お金稼ぐ方法(アフェリエイトなど)を発信している人は、その情報を発信することでお金を稼ぐ。

そのターゲット(というかカモ?)は、お金を稼ぎたい人たちだ。

お金を稼ぎたい人に、情報発信でお金を稼ぐ方法を教え、

教わった人は、お金を稼ぎたい人をターゲットとしお金を稼ぐ。

 

…なんだかグルグル回っていて、不明瞭なのだ。不信感すら感じる。

考えが古いのだろうか。

 

考えるのをやめない

確かに私は自由な働きかたを将来的にしたいし、情報発信もしたい。

しかし稼ぎ方を発信して稼ぐというのにはなんとも言い表せない感情を抱いている。

こうしたモヤモヤを最近感じている。

 

働きかたは変わっていくだろうし、稼ぎかたも同時に変化していくだろうが、しっかりと自分の仕事について考えられる大人になりたい。

今の時代、女性にとっても仕事は人生において大きな存在である。

自分だからできることは何かを考えるのは時に苦しいが、私は逃げたくないと思う。自分を諦めず、これからも仕事については真剣に考えたい。

【ボンクラだけど、誰よりプライド高いのYo】隠れプライド女子には、ミスしてないけど納得いってない仕事が多い。

納得のいかない仕事が多い理由

 研修での情報収集

今日は内定先の会社の研修に行ってきた。任された作業は滞りなくむしろ早めに終わり、「じゃあ、情報収集手伝ってもらおうかな」なんというお話しになったのだ。

実は以前も似たような仕事を振られたことがある。何か注意されたわけではないのだが、有益な情報を集められていないような気がして、数日凹んでいた。ご想像どうり、豆腐メンタルなのである。

同じようなことを振られて、デジャヴを感じた。「私、この仕事苦手だ」状態に陥った。概念や風潮の情報収集は得意だが、商品や新サービスなど、具体的な流行や、これからの動向について探すのはからっきしであると今日気づいた。

時間通りに情報を提出し、特に否定的なことを言われたりはしていないため、そんなに悪くはないのかもしれないが、及第点だが、ありきたりな仕事をしてしまった。

納得いかない理由は隠れた「プライド」

なぜこんなにくよくよしているのか。理由は明確。

ワタシは、認められたいのだ。デキると思われたい!!役に立つと思われたい!!できないのにね!!!(逆ギレ)

 

競争とは無縁の人生を歩んできて、いつものほほんニコニコなお花畑野郎(女)だと思われているのだろうが、自分自身が一番知っている。

わたしは、プライドが、高いのだ。

バカにされたくない精神が強い。一目置かれたいがために、及第点の仕事に、「もっとできたのに」などとおこがましい感情が湧いてくるのだ。

この気持ち、誰にも話さず宇宙空間(裏ブログ)に放出し、秘めた闘志として胸にしまっておこう。

人生って何かを考えるのは、宇宙の果てを覗くぐらい恐ろしい。

思考停止は、もうできない。

一応社会人へに切符を手に入れて、思考停止していた脳みそが余計なことを色々と考え出した。もう止まらないぜ。

最近の世間の先行き不安も相まって、将来に希望が持てないと感じるようになってしまった。

断っておくと、私はネガティブな人間ではない。

 

今まで、将来に希望が持てない、という気持ちが理解できなかったぐらいだ。

何故なら、小さな楽しみを見つけるのが得意な方だからだ、朝散歩をしているだけで、微かな幸せ気分を抽出して、無理やりハッピーになれるような奴だ。

自分を騙すのは群を抜いて上手い。つまり、現実逃避能力が高い。傍から見ればドMだともいえる。

仕事しだしたら、将来に夢も希望もない気がしている。

しかし今、就職活動が終わりかけている今、そんな私でも、現実を直視する必要が出てきた。入社を決断しなければならない。

正直言って、内定をいただいた会社は、ブラック企業ではないかと思っている。

 

ブラック企業とは何か。

仕事が大変なのは良い。仕事人間になるのも構わない。

私は仕事を通して、自分に出来ることを増やしていきたいと思っている。その分労働量は増えるだろうし、仕事中心の生活になるのも仕方ないだろう。

仕事人間なら良いが、会社人間にはなりたくない。

会社人間にはなりたくない。

私の想いは、これに尽きる。

独自理論ではあるが、会社人間を強要する企業は、ブラックだ。仕事人間になるのは自分の為だろう。お金が欲しい、成長したい、昇進したい...。

 

こうした欲求のために、人は仕事に打ち込む。もしも独り身で、必要最低限の生活をしたいだけならば、総合職を選ぶ必要はあるだろうか。

上に上がりたい、という向上心のために、仕事に打ち込むのは本人の自由であるし、そこに意志があるのならば、それはブラック企業ではないと思っている。

 

私の考えるブラック企業とは、会社の閉鎖的な独自ルールや風潮によって、個人の意志が尊重されなくなる状況を作り上げている企業、会社人間を作り上げて、社員の人生にとって足しにならない労働を強要する企業だ。

 人間は群れると恐ろしい。

独自のルールや社風に、しっかりとした合理的な意味や、信念があるのであればよいが、殆どの場合、そうではない。用もないのに会社に残ること、飲み会の強要などはこれに当たる。個人の私生活や思考にまで会社が口を出す権利があるというのだろうか。

 

しかし、一日の殆どを職場で過ごす日本人にとって、会社のルールが自分の全てになってしまう。

これは学校のクラスなんかも同様だ。カーストやいじめなんかも、独特な閉鎖空間が引き起こす問題だ。

 

私は、優しくて、正しい人が生きやすい世の中になって欲しいし、なるべきだと思っている。世間知らずだと笑われるかもしれないが、この意見を一笑に付せるような、そんな世界に、果たして生きる希望はあるのだろうか。

 

成功している正しい人、人格者を見ると、とても幸せな気分になる。世の中捨てたもんじゃないな、と思う。

 

しかし、そんなのはごく一部だと人は言い、淡々と社会の、世間の、会社のルールに従って生きていく。それがその人の人生の全てだというのは、あまりにも悲しい。

人生の意味

壮大な話になるが、仕事を考えるには、人生の意味を考える必要がある。

就職活動をしていてよく分かった。人生について考えるのは恐ろしい。

 

人は、未知のモノを恐れる。その恐怖を打ち消す簡単な方法は、取り敢えず目の前の事柄に対処すること、先例に習うことだ。

 

生きていくために、セオリーは必須だ。この場合はどうすればいいのかググって、多くの場合、世の人々が、この事態にどう対処しているのかを調べる。そうして安心できるのだ。

 

想像の出来ない未知の領域について考えるのは恐ろしい。だから人は、思考停止をするのだろう。

私も例に漏れず、思考停止人間だ。就職活動の際には、セオリーを読みあさった。

因みに言っておくと、人生のプランを設計し、それに沿って仕事を考えるというのも、思考停止の一種だと思っている。

 

人生のプランを考える時に、人生の意味まで考える人は、少ないからだ。

何歳までに結婚して、何歳で家を建てて・・・。

 

こうした計画に、人生の意味は入っていないし、こんなことを書いている私にも、人生の意味など分からない。

なぜ人生の意味を考えるのは恐ろしいのか。

人生の意味は無数に存在し、果てがない。

果てがないということは、究極的に言うと、存在しないということだ。

人は、死を恐れる。死を思うことは、人生を想うことだからだ。

 

終わりが来てしまうのならば、何故、人は、生きるのか。

人生は一度きりで、自分という存在は、この世にたった一人だ。

 

どんなに周りに人がいても、世界は自分と、それ以外だ。一人で生まれ、一人で死んでいく。

考えるのを諦めないで

元々人生に意味などないのだから、考えても仕方がない。そう考えるのだろうか。

いや、違う。意味が存在しない。だからこそ、自分で作るのだ。意味など存在しないと気付いた時、虚無感に襲われるかもしれない。

 

しかし、考えるのを諦めないで欲しい。

存在しないからこそ、自ら探さなければならないのだ。これを放棄するのは、現実逃避に過ぎない。

 

自分の人生と、仕事について、考えるのを私は諦めたくないという青臭いボヤきを、長々と宇宙空間に放出しておく。

 

今日はこの辺で。さようなら。