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HSP・隠れひねくれ女子のホンネ放出空間

おばあちゃん、「最後、幸せでしたか?」

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

お題に沿って、おばあちゃんの話

祖母が亡くなってから、もう5年以上経ちます。

私はおばあちゃんっ子でした。祖母は、何もかも上手くいっていなかった幼少期の私の、拠り所でした。

おばあちゃんと仲が良いのは、私にとって、アイデンティティでもありました。

 

そして、離れた場所に1人で住む祖母と、定期的に連絡をとっていた私のことを、祖母も可愛がってくれていまたした。

1人だったあの人にとって、私という存在は大きいのだろうな、と、幼心に理解もしていました。

 

私と、今は亡き祖母との思い出は、決して綺麗なものではありません。祖母を思い出す時に湧き上がる感情は、罪悪感です。

欠陥の多い人間

祖母は、欠陥の多い人でした。

真面目過ぎて、

心配性なところがありました。

思い込みも激しく、

人付き合いも苦手でした。

母とはよく喧嘩をしていたし、私が物心ついた頃には、

祖父とは別れてしまっていました。

でも、悪い人ではなかったのです。

正しくて、視野の狭い人でした。

そして、私にとっては、たった一人の実の祖母でした。

当時は片親で、母は仕事をしていたため、よく姉妹で祖母に預けられました。

何故、妹や従姉妹もいる中、私のことを特別可愛がってくれたのかは分かりませんが、

波長が合ったのでしょう。

妹が母に甘える分、私は祖母の方に行くようになりました。厳しい人ではありましたが、自分が可愛がってもらっていたのだけは確かです。

近しい人の死は、祖母が初めてでした。

当時中学生だったのですが、気持ちを思い出す事ができません。

ただ覚えているのは、最後に向き合えなかったということです。

亡くなる前の祖母は、気が立っていることが多かったのです。

すり下ろしリンゴを食べたいと言われて、良かれと思いハチミツを入れたら、泣きながら激怒されたのは今でも覚えています。

彼女もいっぱいいっぱいだったのでしょう。

癌を患っていたので、余裕がなくなってしまうのも、今なら理解できます。

 

祖母を思う気持ちは、勿論ありましたが、最後にあった時、ほぼ意識のない状態の祖母に、母が、「アメちゃんがいるよ!」と、語りかけたのを聞いて、何故か怖くなり、手を握ることができませんでした。

 

祖母は私たちに、手紙も、言葉も残していきませんでした。祖母は最後の私の無責任な態度を恨んでいるかもしれない…と、考えてしまいます。

周りの人を、幸せに

今の私が思うことは、祖母と話したかったことや、行きたかった場所、あげたかったものが沢山ある、ということです。

彼女が私のことを拠り所にしていたことに、本当は気付いていました。

その私が、祖母の視野を広げて、死ぬ前に楽しい思いを味わってもらうことも出来たのではないか、と、後悔しています。

 

今はもう成人し、春からは社会人です。

無知な子どもではないので、周りにいる人間を幸せにすることもできます。

死ぬ時に、「自分の人生って、なんだったんだろう」と思うような生き方は、悲しいです。

偉そうな目標ですが、私の周りにいる人たちには、そんな人生を送って欲しくないと思っています。幸せになって欲しい人を救い上げられるくらいの余裕と、力をつけていきたいです。

終りに

祖母を思い出すと、結局人生の話になってしまいます(笑)

綺麗な旅立ち方ではありませんでしたが、私が祖母を忘れることはありません。

おばあちゃん、ありがとう!!

精進するから、見ていてください!